有馬正光様史料提供

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富嶽三十六景 
 百人一首うばが説絵


前北斎

前北斎画狂人卍
「さきのほくさいがきょうじんまんじ」と読む。還暦を過ぎ61歳より前北斎為一(いい つ)と名乗る。

八十歳を越えた葛飾北斎は、作品の落款に自らの雅号をそのように記していたそうです。素人目にも最晩年に至って最も技量が円熟しているのが分かります。

前北斎













北斎













飾北斎の富嶽三十六景(前北斎混合

諸人登山


甲州伊澤暁葛



甲州三坂水面


武州玉川


武陽佃嶋


礫川雪ノ旦


甲州石班沢


上総の海路


三河の八ツ橋の古図


登戸浦


神奈川沖浪裏


凱風快晴(通称:赤富士)


山下白雨


深川万年橋下


五百らかん寺さざゐどう


尾州不二見原


東海道江尻田子の浦


駿州江尻


「江戸日本橋」


「江都駿台三井見世略図」



「東都駿台」


「東都浅草本願寺」


「本所立川」



青山円座松


隠田の水車


下目黒


御厩川岸より両国橋夕陽見


隅田川関屋の里


武州千住


従千住花街眺望の不二


常州牛掘


東海道品川御殿山の不二


相州七里浜


相州江の島


相州仲原


相州梅沢左


相州箱根湖水


甲州三島越


駿州片倉茶園の不二


駿州大野新田


東海道金谷の不二


遠江山中


東海道吉田


甲州犬目峠



信州諏訪湖


身延川裏不二







北斎の百人一首「うばが絵説」


〔古典画〕

「百人一首うばが絵説」     1835年出版 前北斎卍

百人一首の歌意を乳母が分かりやすく絵で説明するというもの。 北斎最後の大錦判の揃物として企画出版されたが、三十一図で中断している。 理由は、版元の
西村屋与八が版行途中で没落し、続いて出版を引き継いだ伊勢屋三次郎も、絵では歌意が分かり難い、などで不評であったためもあって、手を引いたらしい。 
しかし、北斎は相当意欲をもっていたらしく、現存、版下絵が六十四図残っていると云われる。


参議篁(さんぎ たかむら)
(わたのはら やそしまかけて こぎいでぬと ひとにはつげよ あまのつりぶね)
和田の原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟

大海原を、数知れぬ島々の方へ向けて漕ぎ出して行ったと、都の人には告げてくれ、海人の釣舟よ。


小野小町
花の色はうつりにけりな いたつらにわが身 世にふるながめせしまに

花は色褪せてしまったなあ。我が身を徒(いたずら)にこの世に置き、むなしく時を経るばかりの、物思いをしていた間――空からは春の長雨が降り続けていた、その間に。


阿倍仲麻呂
天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に出でし月かも
大空をはるかに仰ぎ見れば、月が出ている。昔、春日の三笠山から昇るのを眺めた――あの月と、同じ月なのだなあ。


在原業平
(ちはやぶる かみよもきかす たったかわ からくれないに みつくくるとハ)
千早振 神代もきかず 龍田川から久連なゐに 水久々流とハ

神々の霊威で不可思議なことがいくらも起こった大昔にも、こんなことがあったとは聞いていない。龍田川の水を美しい紅色に括(くく)り染めするとは。


藤原義孝
君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひぬるかな
貴女を知る以前は惜しくもなかった我が命でしたが、それさえ貴女のためには永く保ちたいと思ったのです。


大中臣能宣朝臣(おほなかとみのよしのぶあそん)
みかきもり 衛士のたく火の 夜はもえ 昼はきえつつ 物をこそ思へ
皇居の門の守り手である衛士(えじ)――彼らの焚く火が夜は燃え盛り、昼は消え尽きているように、私もまた、夜は恋の火に燃え続け、
昼は身も消え入るばかりの思いで過ごしているのです。


三條院
心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな
(もはやこの世に望みもないが) 心にもなく、このつらい浮世を生きながらえたなら、さぞかしこの宮中で見た夜の月が恋しく思 い出されることであろうなぁ。


源宗干朝臣
(みなもとのむねゆきあそん )
山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人めも草も かれぬと思へば
山里は冬こそ寂しさがひときわ増さることだ。人の訪れも途絶え、草も枯れてしまうのだから。


清原深養父(きよはらのふかやぶ)
夏の夜は まだ宵ながら あけぬるを 雲のいづこに 月やどるらむ
夏の夜はまだ宵のうちと思っている間に明けてしまったが、こんな短か夜では、月はまだ西の山の端に辿り着いていないだろう。
雲のどこに宿を借りているのだろうか。


春道列樹(はるみちのつらき)
山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり
山中の小川に風がかけたしがらみは、瀬に溜まって流れることもできない散り紅葉なのであったよ。


菅家(かんけ:菅原道真)
このたびは 幣もとりあへず 手向山 もみぢの錦 神のまにまに
このたびの旅は、出発の慌ただしさに、御幣の用意もできかねました。ところが手向山に来ますと木々の紅葉はさながら錦を織り成したよう。
代りにこの紅葉を御幣として捧げますので、どうぞ神の御心のままにお受け下さい。


文屋朝康
(ふんやの あさやす)
白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける
草の上の白露に風がしきりと吹きつける秋の野とは、緒で貫き通していない玉が散り乱れるものだったのだなあ。


藤原道信朝臣(ふぢはらのみちのぶあそん)
明けぬれば 暮るるものとは しりながら なほ恨めしき 朝ぼらけかな
夜が明けてしまえば、いずれ日は暮れるものだと――そして再びあなたと逢えるのだと――分かってはいるのだけれども、やはり恨めしい朝ぼらけだなあ。


大納言経信(だいなごんつねのぶ)
夕されば 門田の稲葉 おとづれて 芦のまろ屋に 秋風ぞふく
夕方になると、吹きつのる秋風は、門田の稲葉を音立てて訪れ、葦で作った仮小屋の中まで吹き入って来る。


権中納言定家(ごんちゅうなごんていか)
来ぬ人を まつ帆の浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ
風のない夕方の海岸で藻塩草(もしおぐさ)を燃やす炎に身も心も焼き焦がされてしまいました。約束しながら来ない人を待ちつづけています


前権中納言匡房(ぜんごんちゅうなごんまさふさ)
高砂の 尾の上の 桜咲きにけり 外山の霞  立たず もあらなむ
高砂の山の頂に桜の花が美しく咲いたなぁ手前の低い山に霞などかからないでもらひたいものだ


赤染衛門
((あかぞめえもん/女)
やすらはで 寝なましものを 小夜更けて かたぶくまでの 月を見しかな
(あなたが来ないと知っていたら) さっさと寝てしまえばよかったものを、(あなたの約束を信じて待っていたら) とうとう明け方の月が西に傾くまで眺めてしまいました。


権中納言敦忠(ごんちゆうなごんあつただ)
逢ひみての のちの心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり
逢瀬を遂げた後の、この切ない気持に比べれば、まだ逢うことのなかった昔は、物思いなど無きに等しかったのだなあ。


参議等(さんぎ ひとし )
浅茅生の をののしの原 しのぶれど あまりてなどか 人の恋しき
浅茅の生えている野原の、篠竹の群落――その篠竹が茅(ちがや)の丈に余って隠れようがないように、忍んでも私の思いは余って、どうしてこうあなたが恋しいのでしょう


貞信公(ていしんこう)
をぐら山 峰のもみぢ葉 こころあらば 今ひとたびの みゆきまたなむ
小倉山の紅葉よ、もしおまえに心があるなら、もう一度行幸があるまで散るのは待っていてほしいよ。



素性法師
(そせいほうし)
今こむと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな
あの人がすぐ来ようと言ったばかりに、私はこの九月の長夜を待ち続け、とうとう有明の月に出遭ってしまったことだ。


元良親王(もとよししんのう)
わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思ふ
もうやりきれない。こうなった以上、どうなろうと同じこと。難波の澪標(みおつくし)ではないが、我が命が尽きようと、あなたに逢って思いを遂げようと決心しているよ。


伊勢
難波がた みじかき葦の ふしのまもあはで 此の世を すぐしてよとや

難波潟――その水辺に生える短い葦の節の間のような、ほんのわずかの間さえ、あなたと逢わずに、この世をむなしく終えてしまえとおっしゃるのですか。


藤原敏行朝臣
(ふぢはらのとしゆきあそん)
すみの江の岸による 浪よるさへ や夢のかよひぢ人めよくらむ
住の江の岸に寄る波は、昼も夜もしきりとやって来るのに、あなたは来てくれない。でさえも、夢の通い路で、人目を避けるのだろうか。


僧正遍昭
( そうじやうへんじょう)
あまつかぜ 雲のかよひぢ 吹きとぢよ 乙女のすがたしばしとどめむ
空を渡る風よ、雲をたくさん吹き寄せて、天上の通り路を塞いでしまっておくれ。天女の美しい姿を、もうしばらく引き留めたい。


中納言家持(ちゆうなごん やかもち )
かささぎの わたせる橋に おく霜の しろきをみれば 夜ぞふけにける
天の川を眺めると、鵲(かささぎ)が翼を並べて渡すという橋に、あたかも霜が置いているかのように、星々が輝いている。
その冴え冴えと白い光を見れば、夜もすっかり更けてしまったのだなあ。


山部赤人(やまべのあかひと)
田子の浦に うち出でて見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ
初日の富士田子の浦にひとり来てみました銀白の雪衣を幾重にも纏い裾を翻して大空に気高くそびえています。
雪が降り止むまでここで歌っていたいのです


柿本人麻呂((かきのもと の ひとまろ)
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む
林の奧深く、木の枝にとまり、独り夜を明かすという雄(おす)山鳥の尾、その垂れた尾――そのように長い長いこの夜を、私は恋しい人と離れ、
一人ぽっちで寝るのだろうよ。


持統天皇
春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天のかぐ山
春は過ぎ去って、夏がやって来たようだなあ。夏になれば真っ白な神の衣を乾すという、天の香久山に、ほら…。


天智天皇
秋の田のかりほの庵の 苫をあらみ 我が衣手は 露にぬれつつ
秋、稲を刈り取る季節――、田のわきの仮小屋に宿っていると、屋根の苫は目が粗いから、私の袖ときたら、しとしとと落ちて来る夜露に濡れとおしだよ。


喜撰法師(きせんほふし)
わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり
私の庵(いお)は都の巽(たつみ)――都を離れた山の中で、このように住んでいるのだ。その山を、俗世を「憂」しとて入った、「う」じ山と世の人々は呼んでいるそうな。


後鳥羽院
ひとし ひとうらめし 味気あぢきなく
おもふゆゑに ものおも

思い通りにならないこの世の中を、つまらないなあと思うものだから、あるときは人をいとおしく思ったり、また別のと きは人を恨めしく思ったりしてしまうのだよ。
この私は。























従二位家隆


前大僧正慈円


鎌倉右大臣



二条院讃岐


後京極摂政前太政大臣


殷富門院大輔


式子内親王


皇嘉門院別当


寂蓮法師


西行法師


俊恵法師


藤原清輔朝臣


皇太后宮大夫俊成


道因法師


後徳大寺左大臣


待賢門院堀河


左京大夫顕輔


源兼昌


崇徳院


法性寺入道前関白太政大臣


良選法師


能因法師


周防内侍


相模


権中納言定頼


左京大夫道雅


清少納言


小式部内侍


紫式部


和泉式部


大納言公任


右大将道綱母



藤原実方朝臣


恵慶法師


謙徳公


中納言朝忠


清原元輔


平兼盛


紀貫之


藤原興風


紀友則


壬生忠岑


中納言兼輔



三條右大臣


大江千里


文屋康秀


河原左大臣


陽成院


蝉丸
0


続く


























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