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北斎自画像









北斎寓居として自筆




葛飾北斎画
肉筆画

  
                                           

  
                                    



 

  







































驟雨(しゅうう)(夕立)


町屋の娘


勝景奇覧 太鼓橋


春朗画 両国橋


芝居小屋


東都勝景一覧 新吉原八朔


諸国名橋奇覧


端午の節句


養蚕・紡績の図


東都地名の内


北斎漫画三篇(農作業)


甲州にかんぴょうを製す


鎮西八郎為朝


早駆け


武士の乗馬


肉筆画


東海道名所一覧


雀と鋏(肉筆画)


遊女図(肉筆)


美人画 (為一時代)


花魁と禿


武家


芍薬とカナリア


春の美人


軍鶏図


?画 神楽巫女


浅草








九段牛ヶ淵

最後に、没45年後の明治27年に発行された「明治節用大全」に掲載されている葛飾北斎伝をご紹介いたします。

北斎は江戸本所の産。明和年間に生る。始め業を勝川春章に受け、勝川春朗と称す。
ゆえありて破門せられ叢(そう)春朗といえり。古俵居京理の跡を継ぎて二代目菱川宗理と号す。当時画風を改めたりといえども未だ一派をなさず。
門人宗二に宗理の号を譲り、さらに一派の画風を起こして北斎辰政雷斗と改む。時に寛政十年の末なり。
その画風を北斎流と称し、明画の筆法をもって浮世絵を描く。

古今唐画の筆意をもって絵画を工夫したるは、氏をもって開祖となす。ここにおいて、その画風大いに行われて門に入るもの多し。
従来、書を読むことを好み、閑を以て著作に従事す。作名を時太郎可候(ときたろうかこう)と称す。
当時、画名三都に鳴り天下に独歩す。漫画と題して絵手本数帖を発行し、大いに世に行わる。

後に名を門人に譲り、錦貸舎戴斗(きんたいしゃたいと)と改め前北斎戴斗という。文化の末、またその号を門人にあたえ
前北斎爲一(いいつ)と改名す。画風、将軍の公聴に達し、しばしば御成先において席画をなし上覧に供す。稀代の名画なり。
死後、今にいたって数十年洋人、おおいに翁の絵画を称し、千金をなげうちて、求めて帰る。

現代の研究からすると、少しずれたところもあるようですが、短い文章に北斎の一生を良く書いているように思います。

北斎贋作
北斎絵の贋作と言われているものも送ります。浮世絵には贋作が多いと聞きます。
広重の東海道五十三次も司馬江漢の本絵により広重が贋作したと言われていますが、現在では司馬江漢の五十三次が贋作だと言われています。
決定的なものが、熱田神宮の造りです。明治26年に神明造に変更したことは、熱田神宮の歴史に(遷宮にて神明造に改修)が明記されており、
古い明治初め頃の写真も尾張造のものが写つております。
また、手持ちの東海道名所図絵にも尾張造りで描かれています。司馬江漢の熱田神宮の絵の造りは神明造で描かれています。
したがって、明治になって贋作されたものと思われています。









































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